〈ましこのごはん 白菜編〉環境に導かれて陶芸の道へ

ましこのごはん2018年04月27日

〈ましこのごはん〉益子の日常を「農業」と「陶芸」、そしてそれらが交わる「食」の観点から、「ましこのごはん」として紹介します。

 

器を作る人~阿久津雅土さんの器~

『白菜器1』の画像

 

陶芸家の家で育って

 

阿久津さんは生まれも育ちも益子。ご両親はそれぞれ陶芸家を目指して益子に移り住んできて修行~独立をしました。

阿久津さんが生まれた頃にはもう立派な「陶芸家の家庭」。子どもの頃から身近に土があり、窯がある、そんな暮らしだったといいます。

「実は子どもの頃は親の仕事があまり好きではなかったんです。貧乏だったし、コンプレックスの強い性格で、焼き物屋さんの家の子ども達が周りにとても多かったから何となく嫌だった。とはいえ、両親の仕事を見ていたから土には自然と触れていたかな」

高校を卒業後、大学に進学。そこで経済学を学びます。在学中、将来の仕事の選択肢として陶芸の道を考えたといいます。

「陶芸の道を選んだのは何だかんだ言っても自然な流れだったんだと思う」淡々と語ってくれました。

益子に戻り、窯業指導所(現栃木県窯業技術支援センター)に入所。そこで陶芸の基礎を学びます。

 『白菜器2』の画像 『白菜器3』の画像

 

 

自分のスタイル

 

窯業指導所を修了後、美濃に勉強に行きます。そして益子に戻り、独立。陶芸家としての人生が始まります。

「最初はとにかく自分を売り込まなくては、どうやったら目立つか、とか、焦りと迷いばかりが先に立っていてとても苦しかった。

そんな焦りもあってか当時は公募展などにも出品していたけれど今はもうやめているんです。出品をやめたあたりから楽に仕事ができるようになった気がする」

今は売りたい作品と作りたい作品は意識的に分け、展示会を中心に仕事をしているといいます。

「昔とは正反対で、今はいいものを作っていれば見てくれる人が必ずいる、という感覚でゆったり構えて作っている。上手く言えないけど、仕事を通して少しずつ自分というものが分かってきたという感覚かな」

常に自然体で淡々と話す阿久津さん。

今は仕事の合間や休みの時に山の中にいて植物を見たり草刈りをしたりする時間がとても好きだと話してくれました。

『白菜器4』の画像

 

 

 

環境に導かれるように

 

5~6年前位から土や釉薬の材料など益子の素材に強く興味を持つようになったといいます。

今はその研究もライフスタイルの一つになっているとのことです。

「知り合いになった常滑の作家が地元の素材を使い良い仕事をしていた。それがとても刺激になって、自分も素材への探究心が強まったんです。自分で土を採ってきて焼いてみたり、陶芸仲間と材料の話をしたり、一緒に窯焚きをする時間も楽しい。昔から古い焼き物を見るのが好きだったし、研究することは好きなんだと思う。素材への興味が自分を変えてくれたんじゃないかな」

2011年の震災をきっかけに以前にも増して地域の色々なことに関心が強まったという阿久津さん。

「ここまでの全てが自然な流れ。まるで環境に導かれているようだと思う」

『白菜器5』の画像

 

 

 

益子への感謝とこれからの自分

 

「独立したばかりの頃は町内のお店にお世話になったのでとても感謝しているんです。今は色々と厳しい時代。だからこそ益子のお店を大事にしたい」

今後は地元の素材や環境とうまく付き合いながら仕事を続けていきたい、と真剣な表情で語ってくれました。

「陶芸という仕事は色々な見せ方、やり方があって楽しい。まるで山の中で花を見つけるような面白みがある。色々なことを通して自分というものが分かってきた年齢だからこそ、そんな自分にあった仕事の仕方や生き方を選びとっていきたい。だからあえて自己主張しない、というスタイルを今は選んでいるんです。」

奥様とは窯業指導所時代に知り合いました。

「いつか嫁さんに絵付けをしてもらえるような器を焼きたいんだよね」と照れくさそうに話す阿久津さん。

話を聞いている途中、何度も『自然な流れ』という言葉が出てきました。

自分自身をちゃんと踏まえているからこそ無理をせず、流れに身を委ねてゆくことができるのだと感じます。

生まれ育った環境とともにある仕事と暮らし。

それを無理なく選び取れる事はとても素敵なことだと思います。

 

 

『白菜器6』の画像

  阿久津 雅土(あくつまさと)

 1976年 栃木県益子町生まれ

 1999年 栃木県立窯業指導所伝習生修了

 2000年 同  釉薬科研究生修了

 2002年 第4回益子陶芸展・審査員特別賞

 

 

 

 

 

次回は、〈ましこのごはん 山菜編〉をご紹介します。