町政

認定No.29|藤根善治の墓

『No.29 藤根善治の墓』の画像

【申請団体】道祖土自治会

藤根宗三郎善治は、元禄2年(1689)館林藩重臣首藤民部介忠宗の三男として生まれ、享保3年(1718)益子村に居住した。当時の益子陣屋代官佐野伊左衛門は藤根の才覚を認め、家中に剣道、学問の指導を行わせた。
享保12年(1727)3月、代官が江戸詰となり後任に横暴な松尾佐太夫が着任した。翌13年は大凶作のため下の庄七ヶ村(益子、七井、生田目、上大羽、深沢、清水、稲毛田)は年貢米が払えず、藤根のおかげで薪納に代替された。翌年も凶作で納められず、名主などが投獄された。村人は一揆を計画したが、藤根が間に入り黒羽藩に直訴することで計画をとどめた。直訴の結果、薪納の代替と名主などの釈放が決まったが、直訴が大罪との理由で藤根は捕らえられ、処刑され、正宗寺に葬られた。村人たちは先頭に立って指導してくれた藤根をお焚木様として尊称し、石碑を建立して供養した。

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