県指定(昭和42年年1月20日指定)
東西40間、南北20間、800坪の敷地の墓所である。朝綱は地蔵院を創建してまもなく初代(宗円)、2代(宗綱)の墓を築き、自らの墓も定めてこの地を宇都宮家の菩提所とする旨を一族郎党に宣言したという。初代宗円より33代正綱まで五輪塔29基、石碑4基があり最大のものは塔高172㎝である。慶長2年(1597)10月13日宇都宮家が断絶後も大羽在住の家臣たちは仕官せず墓を見守り続け、今日に至っている。
参考:『益子町の文化財』