文化財詳細

安善寺本堂

安善寺本堂

あんぜんじほんどう安善寺本堂

町指定(昭和56年年12月15日指定)

種類
建造物
時代
江戸時代

芳賀富士と呼ばれ、美しい山容をみせる大平山の南麓、小宅から茂木町北高岡への道から少し外れて所在する安善寺。ひっそりとした佇まいは、本寺の創建事情にある。本寺を創建した平貞能は平家譜代の武将で、平清盛・重盛に仕え源平合戦では平家方の侍大将として活躍した。平家滅亡後、貞能は宇都宮朝綱を頼り投降した。貞能に恩義のあった朝綱は源頼朝に助命嘆願し、許された貞能が建久5年(1194)に創建したのが安善寺である。寺の創建には大羽を拠点とした宇都宮氏の援助が考えられる。本堂は周囲の水田面より高い平坦面に造られている。本堂の西・南面には大平山からの湧水を引き込み池にしたと推測される。本堂前面は大羽地蔵院と同じような浄土庭園が展開していたと想定される。貞能は本堂で無常にも死んでいった重盛をはじめ平家一門の霊魂の安寧を祈ったと考えられる。なお、貞能は同じような目的で、那須塩原市の妙雲寺や茨城県城里町の小松寺を創建している。
現存する本堂は享保15年(1730)に再建されたもので、五間四面寄棟造り銅板葺きの住宅風寺院建築で、正面内陣は一段高く1間の須弥檀に本尊を安置、廊下は県内唯一のウグイス張りで、堂宇の斗拱、欄間、須弥檀は江戸時代中期の特徴を表している。本堂の脇には再建時に植樹されたシダレサクラがあり、春には見事に咲きほこっている。

参考:『益子町の文化財』

所在地
大字大平202
所有者
安善寺